【Mesastila 100km DNF】インドネシア遠征をKPTで振り返ってみる

28歳の誕生日に出場した、Mesastila Peaks Challenge100km の敗戦記をそのまま引きずってもしょうがないので「KPT(Keep,Problem,Try)」の振り返りのあるあるで、まとめました。(出場の決意はこちらから)

直前でのコース変更、天候の急変もあり、出場選手の中でゴールできたのは9名。文字通り「超サバイバルレース」となりました。標高も3145m Merababu山を3回アタックするレイアウトで、標高だけではなく、斜度や天候も非常にタフなレースでした。

途中までレースプラン通りに全てが進み8〜10位をいったりきたり。非常によかったレースができていた反面、潰れていく自分をなかなか受け入れられなかったのもの事実でした。そのまま、敗戦へと繋がりました。


◯K(よかったこと):地味な練習(有酸素運動、ポールウォーク)に取り組み続けたこと

前半の比較的標高の低いところ(といっても1500mくらい)は、小さな山(1800mくらい)を越えたり、村と村をつなぐ道を走るレイアウト。ただ平地はほとんどなく、標高の高いゾーンに向けて徐々に登り続ける。走るというよりポールをガシガシ使って登っていくイメージで、夏の有酸素運動やポールを使って街中(広島市内)をお散歩してた甲斐が身体のベースの使い方にすごく出て、非常に心拍数が安定をしていつつも、ペースは落ちず、身体へのダメージもほぼなかった。

◯P(改善点):辛い時に一定ペースを作る力

今回潰れたのは、3145m→2149mへの急降下をした後、登り返しの1000mUPの区間。距離が3kmしかない、でも斜度は30%以上と超タフなコース。標高が2500mを超えると天候も悪化し、ペースが急激に落ちてしまった。絶対にやってはいけない「急な減速」で「眠気・頭痛」という典型的な高山病の影響が。30秒で15m標高を上げると、1分座って休まないと動けず、挙げ句の果てには草むらで何度も寝た。結果3kmに3時間半かかり、そのまま症状を回復させにいった9kmの下り区間も3時間かかり、「このまま3000mの登り返しをしたら帰国できないかも」と確信。そこでリタイアを決断。(Snntoのログみても50km強でこのログ、、*最後2時間くらい止め忘れた。)

あのコース設定は、ほぼ全ての選手が高山病の影響は受けていたと思う。途中ぶっ倒れている時にブルネイの選手に言われた「一歩で一呼吸が大事。とにかく進めば、着くから、進み続けよう」という言葉が全て。辛い時に、しっかりと目標を下方修正しても止まらず一定の動き続けるスキル、その時のコントロールするメンタルの両方が圧倒的に足りていなかった。


◯T(次に試したいこと):もっと身体をコントロールしてみたい

今季は、トレーニング・食事・睡眠の全てをコントロールしてきた「つもり」だった。でも実際は、未熟な一面があり「想定してきたことの想定外」で、このような結果に。「神秘の野生の力」が欲しいなんて言いつつ、日々をもっとストイックになりきれていない自分が全てだったのかな、と。ゴールした選手の登りも見たけど、どんな状況でもリズムが崩れず、本当に強かった。まさに「心技一体」という感じ。日々をどんな生活をしたら、どんなパフォーマンスを発揮するのか?トレイルに限らず、ちゃんと振り返ることにより、自分自身が人間としてすごく成長すると思う。

日本のレースではなかなか得ることのできない敗戦の仕方。遠征に理解をしてもらっている家族、職場、そして応援してくれる人のためにも、このままでは終われないので、次節までにしっかり修正していきたいと思う。

この敗戦に感謝をしているし、いつかこのレースは確実にリベンジして、この悔しさを他の何事にも変えられない達成感へとつなげていこう。

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