靭帯断裂から復帰と3つの学び
11月1日のsaioto colors 31k(D+1,790m)で約1年ぶりのレースに復帰。国体で吹っ飛んで、前十字靭帯断裂から約9ヶ月。レース中は、この期間に対し「長かった」「あっという間に終わった」など、走馬灯のようにいろんなことを思いながら走りました。復帰するまでの間に学んだ3つのことを今回は、まとめてみたいと思います。
◯パフォーマンスよりメンタルをどう保つか
「前を向く自分」と「後悔する自分」
怪我をし、救急車で運ばれ、様々な検査をし、手術を迎える。約1ヶ月半の期間で何百回この「前」と「後」の感情を往復したことか分かりませんでした。周囲には「前」の部分を全面に出しているものの、思い通り動かない脚、どんどん細くなっていく脚に何度も「後」の感情が出てきました。この感情は今思っても厄介で、パフォーマンスが下がるのにトレーニングを積むこともできない中、対処法がなく本を読んだり、できるだけ「前」にするために感情を言語化したり。
正直、家族という存在はすごく大きかった。特にふと飲んでいる時に妻から言われた「山は走らせてあげたい」という一言。この時から、ぐいっと前を向けた気がする。パフォーマンスはどれだけ落ちてもトレーニングで戻るけど、それを支えるのはメンタル面。怪我をした初期は、ここを保てるか?崩壊させないか?が大切ということを学んだ。
◯数値を想いを持って追う
2月中旬に怪我をして、4月1日に手術を迎えたので、3月は手術までの準備の期間。この準備期間は「可動域を広げる」「炎症を抑える?治療」といった療法で、目的がよくわからず、正直”ヒマ”。ただ、通ってた病院が全国区のサッカーやラグビーの中高生がいるところだったため、”ヒマ”な中、彼らのリハビリの様子を観察することができた。1ヶ月も見てると「日々新しいことができるようになる人」「なかなか進まない人」が見えてきて、結構ここはシンプルで「何の目的にこの動作をするのか?」を理解しているか否か。
「リハビリを与えられた時点で負け」
これに気づいてからは、5月から本格化するリハビリ期には担当の理学療法士さんやトレーナーさんにしっかりと想いを伝えられるように、4月の手術&入院期間に膨大な量の本や論文をインプットし、言語化へ。
言語化ができたらあとは早い。仮説のロジックをぶつけ、日々のリハビリで検証。共通目標の数値を一体となり狙いに行き、また仮説のロジックに落とし込む。うまくいく部分、行かない部分があり一喜一憂しまくったけど、常に
「俺はこうありたい。なぜなら・・・」
「いや、それは○○の観点から・・」
と、与えられたメニューをこなすのではなく、議論しながら積極的にリハビリに取り組めたのは良かった。(毎回、真正面から相手してもらってありがたい)
◯ルーティン化する
基盤のメンタル面を作り、想いを持って数値を狙えれば正直もうあとはこなすだけ。日々のトレーニングをルーティンへ落とし込む。
11月or12月復帰を狙う中、5月にリハビリの方向性を定め、8月にはルーティン化が日常生活に落ち着いた。トレーニングピークスで基本管理をしている中、定量的に来週は今週と比較して「成長したな」と振り返ることができる日々、新しいことができるようになる日々、ただただすごく楽しかった。
◯あとがき
今回は、復帰と言っても8月に主治医&手術執刀医を渾身のプレゼンをし、ありとあらゆる数値にコミットし、OKをもらい出たレース。無理だけは禁物だったため、
①ポールで上半身中心の登り
→背筋を始め筋肉痛
②健脚の左脚中心でカニ走りの降り
→左脚が子鹿状態。
③ジェル投入で①②の補填をする
→内臓崩壊。ゴール後動けず。
といった状態。大したタイムでもない中、出し切ることができた1年ぶりに味わうこの感覚は、すごく「辛い」けど、やっぱり「幸せ」でした。全国的に試合ができない中、開催していただき、本当にありがとうございました。
2020年のテーマは”コンフォートゾーンを超える”。ある意味、有言実行で、本当に超え続け、今後に向けてはかけがえもない日々。ただもう”リハビリ”は終わり。ここからは、パフォーマンスあげるためにトレーニングに取り組み、その上で結果を生み出せるように。
ぶちかませ2021
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