鹿児島でスキー選手が3倍 増えた話

2020年とやまなんと国体。鹿児島県代表はこの10年で最大の13名の選手が選手団の一員としてこの大会へ参戦をしました。背景には8年前から県スキー連盟が具体的に始動した「ジュニア育成」が実を結び、結果的に過去最大の選手が参戦することとなりました。

今回は15年近く鹿児島県の選手として戦ってきて、「今までの10年」。そして、今回の大会を振り返り、「これからの10年」をまとめたいと思います。


◯今までの10年

競技スキーに出会った今から15年前。当時は、まだスキー場も賑わっており、鹿児島県が主催するバスツアー(広島とか)はバスが満席近くになるくらい人がいました。当然、各世代にも競技スキーをするメンバーもいて、当時でも10名超の選手団を結成していた記憶があります。しかし、スキー人口の低下と共に、県の競技スキー人口も減少。2014年にはついに中高生のカテゴリ(少年男女)が0になり、未来の県を背負うべきに選手が皆無の事態になりました。

*4年前の選手5名の国体*

ちょうどその少し前から始まった県のジュニア育成事業。50mしか無いような芝スキーから、車で3-4時間かかるようなスキー場まで。鹿児島に住んでい無いから、そこまで顔を出すことができなかったけど、号泣する小学生をなだめ、ゲレンデをスキーブーツで走り、最後は鬼ごっこなどで本気で身体がボロボロになるまで追い込みました。笑

*練習後の鬼ごっこの図。このスキー場も閉鎖されました*


あれから8年。そのころの多くの「ジュニア」が「選手」として、このチームに入り、近年ではクロスカントリーの選手も生まれて来て、結果的に3倍を超える選手が生まれてきました。

*ここ10年の選手数の増減*

最近では、メディアの登場回数も年10回近く。少し前まで、新聞の端っこに数行の時代と比べると、格段に県内の知名度も上がってきたのかな?と思います。(関係者の方々に頭が上がりません)


◯これからの10年


・”今の選手”が全国で戦うことができる選手になること。

・ハンデが生じる資金面、道具面、の課題をクリアする基盤をつくること。

・クロスカントリー競技のチームを作ること。


勝手に書いていますが、まずは今のジュニア世代が、「楽しいスキー」から「戦うスキー選手」として成長をし、雪国出身の選手と切磋琢磨をして成長できる環境を後押ししたい。自分自身、スキーで大学に入り、そこでの戦いを通して、すごく成長をしたから(完全にエゴだけど)。ここからは、去年も国体が終わったら書いたこと。

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「鹿児島で雪が降らないところ出身だから」

これは、選手から聞く中で(仕方ない部分はあるけど)自分自身本当に嫌いな言葉です。きっとこの言葉がジュニア世代から染み込むと将来、外部要因で良くないことが発生した時に、絶対に自分ごととして捉えない癖がつきます。(例えば、「社会人は時間が無いから競技できない〜」とか「就活忙しくて〜」とか。)

雪国の選手と比べて、この素晴らしく厳しい環境は「成長する」には圧倒的なチャンスの環境です。極端な話、スキーは自己成長するための一つのスポーツの種目にすぎません。この雪が降らない事実をしっかりと受け止め、自身が成長をして、将来へ繋いでいける、そんなサイクルができたらと思います。

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環境に言い訳をせず、大学&社会人でもスキーを第一線で続けて成長し、その新鮮な血を入れ続ける。そんな環境を継続的に作れる。これまでの地道な活動が続き続ける、そんなチームになれば、県として成長ができる。こんな環境は大変嬉しく思います。


自分自身は第一線で選手を続けつつ、頑張ろう。

最後になりますが、バックアップいただいている鹿児島県、そして全ての関係者の皆様に深く感謝申し上げます。

2021年は鹿角国体!!(3回目笑)

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